事実たる慣習
借地契約に更新料支払の義務が定められていない場合でも、借地人は契約更新に際し更新料を支払わなければならないか? という問題に関しては、その地域にそのような慣習があるか? が問題解決のカギとなります。
民法92条は、慣習について、下記のように定めます。
民法92条 法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う。
上記では単に「慣習」という語が使われていますが、この92条の慣習は一般に「事実たる慣習」と呼ばれます。慣習には大きく分けて2種のものがあります。その1つは、社会の構成メンバーが社会のオキテとして守らなければならないと信じている(法的確信に支えられた)慣習であり、そのような慣習には、法律と同一の効力が認められます(慣習法)(法の適用に関する通則法3条)。もう1つは、そのような効力までは認められない慣習です。上記92条は「当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるとき」もあればそうでないときもある慣習、逆に言えば誰もが社会のオキテとして守らなければならないと信じているわけではない慣習に関する規定ですが、このような法律と同一の効力までは認められない事実レベルの慣習のことを「事実たる慣習」と言います。
その上で上記条文を素直に読めば、そのような「慣習による意思を有しているものと認められ」ないときは、その慣習は適用されないことになりそうです。
しかし、慣習による意思を有していたと認められるとき(例:契約条項に「この契約についてはこの地域の慣習に従う」と書いてある場合)は、契約内容の解釈・適用として慣習が適用されるのは当然で、その読み方では92条が意味の乏しい規定になってしまいます。
そもそも民法制定前は、慣習が各地の社会秩序を担っていて、その一部は制定法に取り入れられましたが、制定法であらゆる社会現象を漏れなく規定することは不可能で、しかも社会の変動により制定法の予想しない現象が生じます(我妻榮 民法案内1(私法の道しるべ)[101]項 参照)。そのため、制定法に取り入れられなかった慣習は、以降、慣習による意思を有しているものと認める証拠がない限り(例:そのように書かれた契約書がない限り)適用されないとすると、社会に秩序の空白ができてしまいます。もちろん、国家が制定法で示した基本的価値観(例:男女平等)と異なる慣習=公の秩序に関する規定と異なる慣習は認められませんが、公の秩序に関しない規定と異なる慣習は認められる余地があります。これは「制定法と慣習とのせめぎ合い」をどのラインで決着させるか?という問題です。
おそらくそのような考慮の結果として「慣習による意思を有しているものと認められるとき」には、契約書にそう書いてあるような場合のほか、客観的にみて慣習に従うものと解すべき場合は常に含まれる(我妻榮 民法案内2(総則)[96]項)と考えるべきであるとされています。
*条文の文理解釈としては「慣習による意思を有しているものと認められるとき」の「もの」は「(形式名詞)普通、当然。「親の言うことは聞くものだ」」(広辞苑 第四版)のような「もの」として理解することになります。
最高裁昭和43年12月25日判決も、労働契約(各労働者との合意で成立)や労働協約(労働組合との団体交渉が必要)と異なり、会社側が一方的に作成する就業規則について
就業規則は・・合理的な労働条件を定めているものであるかぎり、経営主体と労働者との間の労働条件は、その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、その法的規範性が認められるに至つている(民法九二条参照)
としました。そして、被上告会社が、就業規則の停年制度を改め、これにより新たに停年の対象となった上告人に解雇通知をしたが、上告人は「前記条項に同意を与えた事実はなく、自分に対し効力が及ばない」と主張した事案に関し(労働契約に停年の定めがないということは雇用期間の定めがないというだけで将来にわたって停年制を採用しないことを意味せず労働者にその旨の既得権を認めるものではない、停年制は一般的に不合理な制度とは言えない、新設された停年の年齢は低すぎるとは言えない、本件の停年解雇は労働基準法二〇条所定の解雇制限を受ける、本件就業規則条項には再雇用の特則があり苛酷な結果を緩和している、現に上告人に対しても嘱託採用がオファーされていた、等の事実を踏まえた上で)
上告人は、本件就業規則条項の適用を拒否することができないものといわなければならない。
としました。但し、裁判官15名中3名の反対意見があります。
ちなみに子供向けに法律を解説した「こども六法」という書籍(山崎聡一郎,弘文堂,2019)は、民法92条について
社会の秩序に関係ない決まり(任意規定)とは違った慣習がある場合、契約をしたいと考えている本人たちが、その慣習に従いたいと考えているときは、その慣習を尊重します。
(同書111頁より 文字色変更は本稿筆者)
と説明しますが、より正しくは
社会の秩序に関係のない法令の決まり(任意規定)とは違った慣習がある場合、契約をした本人たちが、慣習に従いたいと特に考えていなくても、「皆この場面ではあの慣習に従うのが普通だよね」と考えられる場合には、本人たちが慣習に従わないと表明していない限り(*)、その慣習に従います。
ということになると思います。
* いやしくも当事者において、その慣習を了知しながら、特に反対の意思を表明したる事実を肯認し得ざる限り、当事者はこれによるの意思を有せしものと推認するを相当とすべし(昭和9年9月19日大審院第3民事部など)。最高裁昭和39年9月18日判決が「ある仏教宗派には、所属する寺が解散する際の残余財産処分に関しこれこれの慣習が存在するが、解散した寺は同慣習を排斥する意思があつたものとは証拠上認められないから、同慣習通りになされた残余財産処分は有効である」とした原判決を維持したのも、この延長上にあるものと思われます。
さて、冒頭の「借地契約に更新料支払いの義務が定められていない場合でも、借地人は更新料を支払わなければならないか?」という問題に関しては、「この地域には更新料支払いの事実たる慣習がある」ということの立証に成功した事例は、まだないようです。
関連項目:慣習法