善解(法律用語)

「善解」は広辞苑にも大辞林にも採録されていない語ですが

当事者のある主張が表現があいまいで、他にそれを直接解明する資料がないとき、当該訴訟の具体的事情の下において、合理的人間であればこうも主張したであろうかという工合に推理補充して、当事者のその主張を一定の要件事実を主張したものとして解釈することを、実務では、善解と呼ぶ。(司法研修所 改訂 民事訴訟第一審の解説)

などと説明されます。あえて語釈すれば

[名](スル) 法的な争いの場における言説について、その意味を一義に確定できない場合、それを発した当事者の合理的意思を推測し、できるだけ法的に意味あるもの、ことに法令に基づく請求又は法令所定の主要事実もしくは間接事実の主張として位置付けること。例「本件不服申立の書状の標題は、特別抗告状となっているが、その申立の趣旨を善解すれば・・・いわゆる再審抗告を申し立てたものと解するのが相当である(昭和47年6月8日最高裁第一小法廷)」など。

となるかもしれません。

例えば、私も委員を拝命する行政不服審査会(建築審査会)では、一般の方が弁護士に事件を委任することなくご自身で審査請求を申し立てた案件が多く、他方、処分庁としてこれに対応する民間の指定確認検査機関も法的言説には不慣れであるため、いずれの主張も法令との関係を厳密に検討しないままに発せられたあいまいなものとなりがちで、審査会としてそれらを善解せざるを得ない場面も少なくありません。例えば・・

もし審査請求人が「本件設計は近隣の日照権を侵害する」とし、それが受忍限度を超える旨を縷々主張されたとしても、建築確認処分はそのような民法上の日照権侵害とは無関係です。しかしこれを無意味な主張として排斥することなく(民法上の日照権侵害とは趣旨も判断基準も異なる)建築基準法上の日影規制の違反をいうものと善解して、日影図をチェックするプロセスへと進んでも良いと思います。

また、もし処分庁が、審査請求が審査請求期間(処分があったことを知った日の翌日から3月)を徒過してからなされたかが問題となる場面で「審査請求人は、同人が処分があったことを知ったと主張する日より前に、処分があったことを知ることが可能であった」と主張したら、それは「『処分があったことはごく最近知った』という審査請求人の主張は疑わしい」と言っているだけ(そうであれば法的にあまり意味のない主張)であるとも見えますが、行政不服審査法18条の「処分があったことを知った」は「知ることが可能であった」を含むものであるという法解釈論を主張したものと解することもできるので、そのように善解して手続を進めることもできると思います。

善解は、以上のように当事者の主張をできるだけ手続全般の中で意味あるものとして位置づけようとする行為ですが、善解されれば主張が認められるというわけでは、全くありません。例えば前半の事例では、建築基準法上の日影規制の違反がなければ違法ではなく、後半の事例では、そのような解釈論は最高裁判例で否定されているのでその主張を採用することはできないことになります。