両罰規定

両罰規定とは、特に行政刑法の分野において、法人の代表者や、法人や人の代理人、使用人その他の従業者が、行政的な規制を受ける業務に携わる中で規制法令に違反し、罰則の適用を受けうる状況となった場合に、事業主である法人や人も処罰しうる定めのことを言います。例えば、設計会社の従業員である建築士が、技術的基準(建築基準法36条)に違反した設計をした場合には罰則がありますが(違反の重大さに応じ、ランクA:三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金(98条)、ランクB:一年以下の懲役又は百万円以下の罰金(99条)、ランクC:百万円以下の罰金(101条))、同違反がランクA又はランクBの場合は、事業主である設計会社も1億円以下の罰金に処せられる可能性があります(105条)。

このような両罰規定の本質については、他人の行為につき刑罰を受けるものとする代理責任説・無過失責任説と、従業員の選任・監督上の過失に基づいて刑罰を受けるものとする固有責任説・過失責任説とがありましたが(最高裁判所判例解説 刑事篇昭和32年度602頁)、前者では「責任(故意又は過失)なければ刑罰なし」という近代刑法の基本原理(*)に背くおそれがあります。おそらくそのような視点から、最高裁大法廷昭和32年11月27日判決は、入場税法(当時)の両罰規定について、固有責任説・過失責任説を採用しました。

それ以前には、時代劇に見られるように、親が重罪を犯すとその子供まで死罪になることもありましたが、ただ関係者であるというだけの理由で故意又は過失もないのに刑罰を与えるという考え方は、近代以降は基本的に否定されています。

事業主として右行為者らの選任、監督その他違反行為を防止するために必要な注意を尽さなかつた過失の存在を推定した規定と解すべく、したがつて事業主において右に関する注意を尽したことの証明がなされない限り、事業主もまた刑責を免れ得ないとする法意と解するを相当とする。それ故、両罰規定は故意過失もなき事業主をして他人の行為に対し刑責を負わしめたものであるとの前提に立脚して、これを憲法三九条違反であるとする所論(=弁護人の主張)は、その前提を欠くものであつて理由がない。

なお、固有責任説・過失責任説の中にも、選任・監督上の過失は検察官が立証しなければならないか、逆に過失がなかったことを事業主側で立証しなければならないか、といった争いがありましたが、上記引用のとおり最高裁は後者を採用しています(最高裁判所判例解説 刑事篇昭和32年度603頁)。

上記事件は、事業主が人の場合でしたが、最高裁第二小法廷昭和40年3月26日判決は、事業主が法人の場合でもこの理は同じであるとします。

事業主が人である場合の両罰規定については、その代理人、使用人その他の従業者の違反行為に対し、事業主に右行為者らの選任、監督その他違反行為を防止するために必要な注意を尽さなかつた過失の存在を推定したものであつて、事業主において右に関する注意を尽したことの証明がなされない限り、事業主もまた刑責を免れ得ないとする法意と解するを相当とすることは、すでに当裁判所屡次の判例・・・の説示するところであり、右法意は、本件のように事業主が法人(株式会社)で、行為者が、その代表者でない、従業者である場合にも、当然推及されるべきである

ちなみに刑法学では「刑罰は行為者の人格があらわれた行為に対する非難である」とする考え方があり、その場合「上記判例は会社の行為にも刑罰を与えるというけれど、会社に人格とか人格があらわれた行為なんてあるの?」という疑問が生じますが、上記のような刑法学の考え方をとる場合でも、一般の刑法と異なり行政刑法における処罰根拠は人格的非難ではなく政策的要請への違背にあると考えるようです(大塚仁「刑法概説(総論)改訂版 昭和62年 P129)。

なお各種法令の両罰規定には、あらかじめ上記判例に沿ったような書き方がなされている場合もあります。例えば

毒物及び劇物取締法26条 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関して、第二十四条・・・の違反行為をしたときは、行為者を罰する外、その法人又は人に対しても、各本条の罰金を科する。但し、法人又は人の代理人、使用人その他の従業者の当該違反行為を防止するため、その業務について相当の注意及び監督が尽されたことの証明があつたときは、その法人又は人については、この限りでない。

これに対し、冒頭の建築基準法105条には上記赤文字部分はありませんが、以上の最高裁判例に従い、そのような条文にも上記赤文字を書き加えて理解することになります(最高裁判所判例解説 刑事篇昭和38年度4頁)。